壷を出でて茶海に泳ぐ。

鳳凰単ソの八仙ばかり飲んでいて、先日突然香りがなくなり、おかしいと思ったら風邪をひいていたでござるの巻が終わって、どうにかこうにか遣り掛け案件であったトイレの掃除を念入りにして、どういう椅子をおくかについて思いをめぐらしていたが結局イメージが湧かず、それでこのところカーペットに座って茶を飲んだり横になったりしていた。

それである人が茶を飲みにきて話しているときに椅子の話になって、椅子をおかんでもええんじゃないの的な話になって、それで、ちゃぶ台スタイルになりましたの巻が始まって、今度はどういうクッションを置くかということを考えている。思ってみたら、カーペットの上でくつろぐのはとてもここちがよいのだ。

幸い、机はどうにかこうにか安く見つかった。

昨日ゲオというレンタルビデオ屋に行って、カードを作って、ジャズのCDを5枚借りて、ジャズっぽいときはそれをかけることにした、あとアンビエントなものはしょうがないから、というよりもほしかったからアマゾンでぽちった。

玄米が食いたくなったので、玄米の炊き方を調べたら、秋田県に伝わる炊き方というのがあったのでやってみたらすごくおいしく炊けた。
やり方は玄米を洗って1.2〜1.5倍量の水を入れて強火にかける、ピシピシ音がしたら水がなくなった状態なので開けて、玄米と同量くらいの冷たい水を入れる、しばらくして中火にする。それからしばらくして火を止めて蒸らす。以上。

これでできると思うけど、くわしくはggってちょうだい。

そういえば昔近所に住んでいたオランダ人のスティーブンがジャパニーズのレシピ本(by けんたろう)を読んで、中火って火の中?って言っていたのを思い出す。

今日はたびたびお世話になっている人が日本酒をくれたので、それを飲んだり、玄米を食ったりしていた。
実に先月ぶりの酒であった。
玄米はそれ自体うまいので塩和えにしたらアテになる。

米をもって米を飲む。それにしても酔鯨というのは好い名前である。

最近動画で、泳いでいるひとの横を鯨がはねるというものがあったが、それはなんとも迫力があって、それでしばらく鯨動画めぐりをすることになった。

またゲオに行って併設のというか横にあるリサイクル屋で中古の品を物色しようとおもったら、しまっていたので、やはりゲオに行ってCDを探すが昨日みたばかりで目新しいものはない。当たり前である。

自動機械のようだ。

小津安二郎の東京物語を借りて観た。
ジェンダー絡みの違和感が少しあって、これは現在の私の状況に由来する。けどとてもいい映画だと思った。

『饗宴』を少し読む。読書会でA氏がコメントしていたので、レスポンスをしようと思ったり、読んでからしようと思ったり。

そういえば昨日ギターパンダという人のライブに行って、歌うのを聴いた。

無人島に行って、
のんびりやりたい
というのを冗談でいうやつがいるけど
ホントに行くとは思わなかったよ。

っていう歌詞があってなんとなく泣きそうになって、そのあとボーっとしてきたりもしたのでちょっとして帰った。

クリスマスでプレゼント交換があって猫の置物を持っていったのに渡しそびれた。
ライブまた行きたい。

けど、銭がね。

楽器をやるなら何?という問いが自分のなかにときどきでてきて、なんだろうね、と言っている間に齧るまでも行かず撫でる程度でいろいろやって、ときどきもしも丸々が弾けたならという昭和の香りのする感慨にふけったりもするが、なんともちょうどいいのに出会えずにいる。
ああ、三線は夏の前になるといつも弾きたいなあと思う。そういえば、赤瓦という石橋の沖縄飲み屋で弾かせてもらったり教えてあげるよと言ってもらったことがあったが、飲み代に困っていたころでそれより飲みたいと思っていた。そこの島らっきょはそれがあったらエンドレス泡盛リーチで困った。またあそこで飲みたい。

お茶を淹れよう。
ワークアウトと言いながら、飲みたくなったら淹れている。

茶はいいね。リリンの産んだ(ry その1

岩茶のちから―中国茶はゴマンとあるが、なぜ岩茶か? (文春文庫PLUS)

岩茶のちから―中国茶はゴマンとあるが、なぜ岩茶か? (文春文庫PLUS)
のまとめ

#福建省に行くことになったよ#

陳さんが来る。

「中国に岩茶という珍しいお茶があります。飲みに行きませんか」

「新茶のころがいいでしょう。緑茶は清明節に摘むようですが、岩茶はもっとおそいようです。わけがあっておそく摘むんでしょうなあ」

「じゃ、5月に行きましょう」

#福建省の武夷山に着いたよ#

紫紅色の肌をした奇峰の数36、奇岩の数99といわれる武夷山の岩塊。

霊山と言われる奇峰に5月の夕陽がさしている。
山中を曲がりくねって流れる碧水の川は、静けさの極み。
第1峰大王峰の麓の風雨に磨かれた臼形の石に腰をおろし、風に嬲られる木の葉を眺めながら彭祖という老人が住んでいた幔亭峰はこのあたりか、などと思い私はぼんやりしていた。

彭祖とその息子、武と夷。

赤みを帯びた骨山。

#岩茶をのんで酔うたよ#

碧い水。奇峰奇岩の丹い色。たったそれだけでつくられている景色はまるで神がデザインしたかのように美しい。

その晩、私は初めて岩茶を飲んだ。

「岩茶は天然のウーロン茶です。普通、茶は土で栽培されますが、岩茶は武夷山の岩に根を張り生長します。それで岩茶というのです」

「肥料はやらないんですか」

「岩の養分と朝の光と霧と山の水だけで生きています。農薬も化学肥料もなにもやりません」

『梅占』
軽い甘みが快かった。が、あれ!である。そんな単純な味ではなかった。スーッと甘みが肺に広がり、静かに胃に届く。
一粒の星の柔らかな光のようにまたたいて、乱反射し、再び爽やかな甘みがよみがえるのだった。

p.24まで。

ここんとこの進展についてのレジュメ

ここんとこの進展についてレジュメを友人に送ったので転載。
実名は適宜修正した。

*****詳細レジュメココカラ。*****

耳屋をやって、得るところが大きかった件について。

得るところ1:ネットワークが広がった。
得るところ2:自分の中からいろいろ出てきた。

1について
知り合いが増えて、耳屋も受け入れてもらえて、今まで知ることのなかった層と接触したし、バーでもマスターが別の人に「こちら耳屋さん」って紹介してくれたりした。そうなると爆発的に知り合いが増えて、レヴィストロースの言う真正な水準のコミュニティをかんじている。
それが実際うれしい。そういう時期かな、とも思う。みとめられるというよりも今は「なんしよんかしらんけどおもろそうなことやってんな」というのやけど、それでもそのレベルですらうれしい。

2について
具体的に行動したことで、反省もあったし、うれしいこともあった。
反省については手伝ってくれた友人と別れ際に挨拶できんかったのが大きい。
心苦しく思っている、許してほしい。

いろんなことが出てくる。とにかく出てくる。
自分の強みは人の気持ちをわりと汲むところというのも思った。
耳屋、やっぱええな、というのも思った。
メタ的に、行動したことについて見ても、こういうことがいろいろ出てくるので、よい、と思った。

結論1
こんなわけで、耳屋ええな、と思っている。

結論2
それでこのことを考えるにつけても、このまま続けたいという気持ちがでかくなった。
なので、台湾行きを保留して、企画集団をまずひとりで立ち上げることにする。
で、いろいろ具体的にやってみる。

結論1.2を受けて企画集団の活動について

「人の気持ちを汲む活動」としての耳屋をベース理念(大文字の耳屋)とする。
「F2Fで聴いてお金を戴く活動」としての耳屋(小文字の耳屋)はその表現の一環とする。

箱のいいところがあったので、そこを借りようと思っている。

箱での活動:カフェバーかついろんなものを置く。
いろんなものについて:人の「作品」。自分が汲んで、伝えられること。

それ以外の活動:小文字の耳屋。そのほか企画を練る。

キーワード:耳屋的活動とその伝播。ちゃりんこ都市としての今治。顔の見えるコミュニティ(FTF)。気持ちを汲むこと。物を売ること。企画をかたちにすること。広告の出し方。大きい耳屋と小さい耳屋。根付くこと。アジールとサロン。小さい活動の集積。共有。

*****レジュメココマデ。******

耳屋 in IMABARI

Rimg0040

本日、広小路にて耳屋やりました。
なんだかんだ興味を持って見られたのはよかった。
冷めた目が多いかと思って内心びびってたのは内緒。

言語以外の領域についての話とか。
対称性の話とか。
公共性の話とか。
翻訳可能性の話とか。

耳屋の限界の話になって、けどそこまで行くのめっちゃ大変、という話にもなった。
僕自身は耳屋の限界というのはよくわからんけど、やったら自分の中からも何かしら思いが出てくるので、そういうのがいいと思っている。
耳屋に限らず、なんかしら自分の中から出てくる活動っていろいろあるけど、そういうのを常にやりたいという気持ちになった。

あと隣でやっていたインドっぽい人が面白いひとだった。
今度お茶することになってうれしい。

Yスケ手伝ってくれてありがとう。

ぽっち的なるものあるいは余剰になりかけた必要

Rimg0004

先日、新居浜という町のとあるお店に行ったところ、雑貨とか服とかいろいろある、なかなかいいお店でござった。

まずかかっている曲がよかった。

文房具、服、器、などなど。

文房具とかにも惹かれたけど、ノートは使っていたものがあったり、今の生活で使う文房具というのも、ノートだけだったりするので、欲しくなったら困るというのもあって、できるだけスルーした。
けど、まあ、見たっちゃ見たのやけど。

そういえば、使う文房具がノートとペンだけというのもなかなか。

それはええとして、その店でなんだかんだあって買ったのが写真の器。
これ、なんかしらんけど、えらい気に入ったとです。

自分ではあまり手にとらない仕様。
好みの面で、というより、目に入ってなかったかもしれん、スルーするぐらいの仕様、個人的にね。
なんだかんだの末に手に入れたわけですが、この持ち手、この塊。

我々はこの持ち手をポッチと呼んでいて、これに慣れた今、なんか普通の持ち手をみたときにゲシュタルト崩壊して、違和感を感じるまでになりました。

それでこのポッチ、あるいはポッチをポッチたらしめているポッチ的なるものについて思いをめぐらしていましたら、唐突にこれは余剰になりかけた必要である、と。
必要なのは必要、持ち手やからね。
なにが余剰になりかけかというと、なんなんでしょう、趣向?
なりかけの美学というか。
普通に使えますからねえ。

抜本的な解決じゃなくて、ちょっとした、なんというかポッチというか。

こういう遊びのようななにかとともに生活したい、と思います。
なんかをデザインするのとかも、かくあるべし的なんじゃなくて、ポッチ的なるものを追い求めていく過程でありたい。
こういうのかっこええよね、ていうのじゃなくて、ポッチ的というか、なんというか。
それを作るのは面白いし、それに慣れる人間も。

「世の作り手たちよ、ポッチ的なるものを志向せよ。」
「肩こりに効きそうなものを志向せよ。」
「腫れ物、あるいは潜在性という名前の爆発物を志向せよ。」

なんていうことを思いながら、そういえば、なんか作るときに見た目とかに馴染みやすい「とりあえずそれっぽいもの」を作ってたかもしらん、と思って、硬直した頭をポッチの先で押してほぐそうと思います。

なんなんやろな、ポッチ的なるもの。
たぶんコレはこういうものっていう先入観があってポッチ的なるものが出てきづらいんやろうか、普段は。
けど、それを崩すだけじゃあかんのよなあ。
いや、ほんとには崩せてないんやろうか。

馴染む過程も面白い。
しらんまに生活の中に忍び込んでくる潜入感。

ポッチ的なるもの。
なんなんやろか、いったい。

□□□□■□□□□■□□□□■□□□□■
そうそう、30日のイベント的なもので、耳屋と易やるよ。
場所は今治広小路。
耳屋お値段据え置き200円。易はいくらにしようか考え中。
易占っていうても素人から毛を抜いたようなもんやから、たいしたことは言えんし、言うつもりもないが、それっぽいことは言おうと思っています、わはは。

にぎやかしになればコレ幸い。

近くの人はぜひ。

ほなねー

さんについて

参・酸・産・燦・讃・算・散、そしてもちろん3。

参について

参ってなんでしょうね。
人参の参は当て字?

お参りかね。最近参ったのは氏神様と乗禅寺か。
88ヶ所が自分のまわりではやっているので、自分も行きたいとときどき思います。

酸について

すっぱいものはちいさいころ苦手でした。
ずっと食べませんでしたし、飲むのもヤでした。
それであるときお酢ではなくてみりんのことを人と話したときに、いいみりんは飲める、とか、自分のうちでは御屠蘇をみりんで、とかいうのを聞きました。
みりんと酢は近いものと勝手に思っていたので、いいお酢は飲めるものなのかしらと思っていました。

そんな話を含んでいたころ、あるところで中国の酢を飲みました。

それが思った以上にうまかったので、それから仲良くしようと思いました。
それぐらい中国のお酢はうまかったです。

そのあと日本の酢もうまいものはうまいと知りました。

なんだかんだで、今はわりと好きです。

そういえば中国茶の岩茶荘で羅先生と話したときに、あなたは木あるいは青あるいは肝といわれました。
だから酸と仲良くしなさい、と言われました。

そういうもんかなあ、と思って勧められるままに岩中蘭というお茶をいただきました。
青茶の中にも木火土金水があるらしくて、青茶の赤とかそういうのもあるみたいでした。
岩中蘭はすごくおいしかった。

ご縁があって今うちにある中国茶の色は何色なんだろう。
すごくおいしい幸せ。

産についてあるいは燦についてあるいはまた讃について

息子が産まれて燦々たる命と世界の煌きを見、私はそれを讃えました。

算について

これについては書きたくない。

散について

ときどき散、ときどき凝で、あるいはときどき解、ときどき集。

3について

書こうとしとったんやけどやっぱやめぴ。

共有について

いっとき商売をしていました。
といっても食べるためにやっていたのではありません。
なんのためにやっていたのか、と訊かれて困ることが多いような、そんな商売です。

店の名前は「耳屋」といいました。
人の話を聴くのが主な仕事でした。
お客さんは困ったことがあってぼくのところにくるのではなく、ただなんとなく来ていました。

なんとなく、ということを、ぼくはとても大事に思っていて、人がなんとなくというとき、そこにはなんとなく大事なものがあると思っています。
それで、何気なく話をする人に耳を傾けることを商売にしていました。

それでも、何気ない話からその人の魂のようなものが溢れることが何度もありました。
そういうときに、「お客さん、何か魂のようなものが溢れましたよ、ほら」、と差し出すと、皆さん、言葉にならないような、なんか不思議に嬉しそうな顔をされていました。

具体的な話は書けませんが、人によって内容は違うけれど、なんとなくそれぞれがつながるような、そんなことがたくさんありました。

それで思ったのは、「魂のようなもの」が溢れたときに、大事なのは、

「あ、これ見て」
「あ、ほんと」
「なんかいいね」
「うん、なんかいい」

ということなのではないかということでした。
ちょっとメタですね。

小さい子どもが虫を持って帰ったり、変な形の草を持って帰ったときに、

「おーおーこりゃたまげた」とか、「なんじゃあ、これは、すごいもんじゃのう」とか。

それで子ども(小さい時のワタクシ)は得意げになっていたのでした。

話が逸れたり逸れなかったりしましたが、共有すること自体に何か深い喜びのようなものがあるのではないかということをその商売のなかでぼくは感じました。
(反対に自分の話を聴いてもらったときにも同じようなことがたくさんありました。)

それからこういう風に書くと、「聴く」ということがエラソーな感じがしていますが、そんなことはなくて、お客さんたちの話を聴くとき、聴いて深いところで共有したとき、ぼくはすごく満ち足りていたということを付け加えておきます。

-------------------
それが商売をしていたころの話です。
それから大学をやめて食うに困って、バーテンダーをやったときもこういうことを大事にしていました。

酒をメディアに、いろいろなものを共有したい、と思ってカウンターに立っていました。

このときの話もいろいろあるのですが今度にして、それからもっと食うに困って(困ってばっかりですね)、淡路島の建築屋に拾ってもらって、それから先日の地震をきっかけに地元に戻りました。

それで今は地元のフリーマガジンでライターと営業をやっています。

駆け足で振り返りましたが、「体を使ったボラだけでも物的支援だけでもない"濃い"道がないのかな」と@nakanoさんがおっしゃったときに、まっさきに思ったのがこの「耳屋」という食うに困りそうな商売のことでした。

今、ライターあるいは営業として人を訪ねるとき、言葉も振る舞いも仕組みも仕事も箱も含めて、その人の表現をできるだけ汲み取りたい、と思っています。
そうやって汲み取ったものを、的確でちょうどいいやり方で誰かに伝えて、それで誰かと誰かと誰かがハッピーになればいいですね。
それが耳屋のRI☆SO☆U!

言うは易し行うは難し、の典型で、そうやって思っても、なかなか他の要素との折り合いがつかんかったり、自分のコンディションがコントロールできんかったりで、欲求不満が募ったりもしますし、あほなのでときどき忘れたりもしていますが、仕事もプライベートも含めて耳屋があるように見える方向に向かって歩いています。

妙な話で、答えになっていないような気もしますし、こう書いて、現実の諸問題に対する自分のトルクの弱さを嘆いたりもしますが、おおむねこんな感じというのがお伝えできれば幸いです。
率直なご意見をいただけるともっと幸いです(笑

耳屋オープン初日の様子はコチラです。

鞄の中へ/家の外へ開かれた世界

面白そうなので開かれてみる。

開かれてその向こうと、開かれた発点は、こういう写真には写らない。

机の上にあるのは鞄の中身で、煙草・ラッションペン・マッチ(あるいはライター)・KOKUYO100枚ノート・葉書・4Bの鉛筆・目薬・台紙をつけた付箋・財布。

ラッションペン好きー
KOKUYO100枚ノートはすごく便利。
付箋がはみだしてますね。付箋はこれからも増えます。

葉書はいつも入れているわけではないけど、書くことがあったので。
あ、ペンがないね。
@morimisakoさん、言ってたとおりやっぱりどこかに行ってしまってますね(笑

あ、アスカの煙草缶も事務所に忘れてきた。

そして灰皿はもちろん鞄の中身ではない。
机は50年以上前から実家にあったものを持ってきたよ。

引き出しの中に45年前の新聞が敷かれてた。
昭和41年3月25日(金)の朝日新聞によると、23日、ジョンソン大統領が国務省でNATOについての演説をして、協議し、団結することが戦争を防ぐんだよ、と言った。
その前に、ソ連からモンゴルにミサイルが供与されていたりしたらしい。ソ連の共産党大会に中国が代表団を送らないことが決まったりして、けっこうやばい感じになっている。

これからどうなるのであろうか。というのは歴史の示すとおり。

鞄の中身に関してこれからやりたいこと

・ノートの改良。
名刺を貼ったりポケットをつけたり、リストを印刷して貼ったり、そういう感じ。

Media_httpwwwvqgoodsc_feqde

ポケット付箋

↑こんなのとか。

・住所録
住所録をやっぱり作りたいけど、どういうのがええのかわからん。

・消しゴムはんこ
ココのはんこみたいなのがでけたら楽しいやろな。

・ペン
デザインがいいもの。
なくならないもの(←コレ大事)。

・鞄
中身じゃないけど、鞄ほしい。
革で、自立して、簡単に開いて、なかにおおきめポケット2つくらいで、外にポケットないやつ。

庭は借家のくせに割といい感じで、今はノウゼンカズラが咲き乱れています。
西日の似合う庭。

あとはーなんかほしいものしたいこといっぱい。

(download)

蟲を喰う夜、夜を喰う蟲

昔、蟲を飼っていた。

飼っていたといっても小さな籠に入れて机の引き出しの隅に置いていただけで、水と乾いた野菜を少しやる以外の世話はほとんどしなかったが、それでもその蟲はどうにか生きていた。

ときどき死んだように動かなくなっていたが、そういうときでもケージを揺すると一緒に入れていた流木の下にゆっくりと逃げ込んで、それを見て私はその蟲がまだ生きていることを知った。

流木の苔は近所の水路から取ってきて巻きつけたものだったが、恐らくなにも喰うものがなければそれを齧っていたのではないかと思う。

その頃、私は毎晩のように酒を飲んでいて、二日酔いのまま過ごす日も頻繁にあった。
二日酔いというのは嫌なもので、その最中には全てを呪いながら水を欲し、水を得た後は、腹の中のその水さえも呪い、苦しみが倦怠に変わる頃には意識の薄れることを欲し、一度意識を失って、また目を覚ますと全てを忘れるような、そんな過程で、そんな過程を誰が望むか、と唾を吐きもて歩き、また夜になると酒を欲する。

嫌なものだ。

それを救いようのない馬鹿であると罵る向きがあるが、救いようのない馬鹿の方ではそういう言葉を安直と呼んで軽蔑していたのだからお互い様だ。

どちらにしても人間似た様な生き方をして自分のことを正当化するのに忙しく、周りに気遣う余裕もなく、気持ちの悪い薄ら笑いを浮かべて、正当化の材料を探すのだから、なんのために生きているかさえ自分でもわかっていない。

みな、その場が凌げたらそれで満足しているのであった。

それである晩、腹を押されるような感触に目を覚まして、自分の腹を見ても何もなかったので、不思議に思いながら、水を汲んで、それを飲み、ふと思いついて引き出しの中を見ると、蟲がいなくなっていたことがあった。

代わりに籠の中に黒い染みのようなものがあって、ボヤリとした頭で、溶けたのだな、と思った。

ああ、と思ってそれから、また捕りに行くか、と思って、そうして初めて、あの蟲を何処で捕ったのか自分が知らないことに気付いた。

それどころかその蟲がいつから自分の引き出しにいたのか、そもそもなんという蟲だったのか、自分が知らないことにも気付いた。

昨日までの記憶を探して、その蟲が黒っぽく硬い甲で棘のある肢で柔らかい腹で、いや、本当にそんな姿だったろうか、我が身に在れて、その蟲が本当にそんな姿だったのかさえ分からなくなって、曖昧な夜の空気が何時にも増して、古い厚いカーテンの束のように自分の上にのしかかってきた。

それから暫くその蟲のこともその夜のことも忘れていたのであるが、今朝になって、家の庭に...

省略されました。続きを読むにはコチラをクリックしてください。